校長日誌

5月23日(木)進取の気風No.44「加須弁」

 曇り後晴れ最高気温26度。中間考査最終日、最後の試験が終わった後の安堵の叫び声が聞こえてきそうです。今日から部活動再開。午後、出張先から学校に戻りました(決裁文書の山でした!)が、いつもの放課後の「音」と「声」が戻りました。そして、いよいよ体育祭と文化祭の準備が本格的に始まります。中間考査が終わったばかりでお疲れでしょうが、これからが不動岡生のエネルギー最大出力ですよ!

 さて、生まれも育ちも加須だった私に「文明の衝突」が起こったのは不動岡高校入学後です。「言葉」が違うのです。語尾が違う、イントネーションが違う、言葉自体が違う…。加須で生きてきたので自分が加須弁をしゃべっている意識はありませんでしたが、羽生出身者と行田出身者の言葉は加須のそれとは異なっており、不動岡高校内ではそれぞれの訛りの縄張りのようなものがありました。とはいえ、加須・羽生・行田の言葉は似通っているところも多いので縄張り争いのようなものには発展しませんでしたが、この3つの地域を一緒くたにして小馬鹿にしてきたのは春日部出身者でした。この辺りでは、「そうなの?」は「そーなん?」が共通語ですが、春日部出身者は「草南?草加南高校のこと?」と聞き返してくるのです。わかっているくせに聞き返してくるとは!今でも覚えているのは1年3組の同級生だったH君です。運動部だった彼もテスト一週間前は部活動がないので早く家に帰ることができます。授業が終わって放課になる頃に、H君は教室で大きな声で、「はぁ、けーんべやー!」と叫びました。すると周りから「けーんべぇー、けーんべぇー」の声。春日部出身者は何事が起ったのかという顔をしていました。

 またもや、校長室の本棚にある本を発見しました。「北埼玉地方の方言 加藤剛」2005年10月発行とあります。加藤剛さんは昭和5年に当時の三俣村生まれの方です。大学生の時に地元の方言を卒業論文にしたことが始まりで中学校で教鞭を執りながら埼玉県北東部の方言の研究をされていたようです。加藤氏の本はあいうえお順に方言が並べられており、まるで辞典のようです。同じ加須でも私の母の実家があった水深の方ではまた違います。私は小さい頃、母方の祖母が地元の人たちと話している会話は全く分かりませんでした。

 「いら」という副詞は英語のveryに相当する方言です。「いら困る」のように使います。「あさっぱら=朝早く」「いびる=いじめる、からかう」「うっちゃる=捨てる」「おっぺす=圧し潰す」「かっぱぐ=削る」「こわい=嚙み切れない」「ちっと=少し」「でれすけ=なまけもの」「なびる=こすりつける」「は~=もう」「きねえ=来ない」等等。挙げたら切りがないですが、久しぶりに出会った加須弁です。以前は不動岡高校生はいわゆる田舎者が多く、どこか野暮ったい人間の集まりで、誰かしらがイントネーションや語尾が訛っていました。地元から離れて久しく、普段はもちろん標準語ですが、今でも同郷の言葉を聞くと懐かしく感じられます。現在ではメディアも発達し、どこで生まれ、どこで育とうが標準的な言葉を使っています。久しぶりに不動岡高校に戻って気が付いたことは、加須弁が聞こえてこない(聞こえてきない、は加須弁)ということです。現役の不動岡生と直接おしゃべりをする機会は少ないですが、廊下やグランドで交わす不動岡生の会話に加須弁は聞こえてきません。地元出身が少なくなったこともありますが、そもそも「加須弁」を話す人自体が少なくなってきたのでしょう。私は中学時代の友人に会うと敢えて加須弁を使ったりします。そうすると相手も加須弁になってきます。不思議なものです。不思議なことと言えば、当時、さんざん加須弁を小馬鹿にしていた春日部出身者は不動岡高校を卒業する頃には、しっかりと加須弁をマスターしていましたね。

 21日(火)PTA華道サークルがあり、新しい作品を校長室に届けてくださいましたので写真を掲載します。フトイ(太藺)、カラー、ギボウシ(擬宝珠)の作品です。ありがとうございました。